さきたま古墳公園に行きました 二子山古墳
ALOHA!
今日も、みなさんが笑顔になれますように。
さきたま古墳公園に行った話の続きです。
案内板を見ると、駐車場を出てすぐ右側に愛宕山古墳があります。
墳丘長は54.7mで、埼玉古墳群では、最も小さい前方後円墳だそうです。
埼玉古墳群の特徴である二重の長方形の堀をもっているそうです。
また、大型古墳に比べて、並べられた埴輪が小さいそうです。なんだか興味深いです。
愛宕山古墳は、6世紀後半ぐらいの築造と言われています。埼玉古墳群が5世紀後半から7世紀前半と言われているので、築造の年代的には真ん中ぐらいですね。
小さいと言われても4.7mもあり、堂々としているとても大きな古墳です。
その日は周りを工事していましたので、あまり近くまで寄ることが出来ませんでした。
そのまま流れで歩いていきます。
次に向かったのが、二子山古墳です。6世紀前半の前方後円墳で132.2mです。
先程の愛宕山古墳より築造が早い時期で、規模も大きいですね。
埼玉県最大の前方後円墳だそうです。
周りには柵がめぐらされているので、周囲を一周することはできますが、墳丘までは行くことができません。
発掘調査は墳丘周辺に集中していて、埋葬施設の位置等はわかっていないそうです。
平成29年度のレーダー探査では、後円部東側に横穴式石室の存在が想定されているそうです。
また、墳丘造出しからは須恵器や土師器などが出土していて、埋葬に関わる儀礼が行われたと想定されているそうです。
古代のこの辺がどうなっていたのかはわからないです。
草が生えているところだったのか、森だったのか。
このあたりは、平野が続いています。
丘陵地帯であると、斜面の上とか高いところに築造されることが多いですが、平野部が続くところであると平野部に築造されることなると思います。
墳丘からは、ずっと、周りを見渡せるところだったのでしょうか。
集落が近くにあったのか。
墳丘を見上げた人たちは、どんな思いでいたのか...
古墳が不思議なところは、開発で削られたり壊されてしまう古墳もたくさんありますが、それでも現代までたくさん残っています。
昭和時代などになって大規模開発などで壊される前の時代までは、それなりの数が残っていたと推測しています。
古墳後期の7世からでも1400年もの間です。
元々築造されたところは、人が居住しないところを選んで築造したのか。
あるいは、築造されたことで、そのあたりは長い間も、なにか特別な場所として残されたのか、とても不思議です。
また、古墳時代も3世紀から7世紀と、400年近くあります。
その間は、あまり宗教、文化、風習なども変わらなかったのでしょうか。
続きは次回です。
mahalo
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