古墳について調べてみました ヤマト政権

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ALOHA!
今日も、みなさんが笑顔になれますように。

前回からの続きですが、なんか書いててすごく難しい内容になってきました...着陸地点がわかんなくなっちゃった。(笑

調べていくうちに、この時代はわからないことが多いから、もやっとしていましたが、イメージしていた以上に中央集権にまとまっていたと認識をあらためました。
また、日本書紀三国史記好太王碑などに記録されていますが、倭・高句麗戦争といって391年から480年の間、倭(ヤマト政権)、百済、伽耶諸国の連合軍と高句麗、新羅連合軍の間での戦争がありました。
当時のヤマト政権は、朝鮮半島に船で軍隊を送ることができるほどの国力、国としてのまとまり、軍事的な力、組織力、軍事技術や兵站のマネジメント能力、造船技術や他国との交渉能力や語学力をもっていた組織であったことが想像できます。

この時代の死者に対する考え方、死生観、宗教観ってどんな感じだったのでしょうか。
日本神道は、伝統的な民俗信仰・自然信仰をベースに縄文時代を起点にその原型が形成されたと考えられています。
お社ではなくて木や岩などの依代(よりしろ)に神が宿る自然信仰的な考え方が最初であると考えられています。
祖霊信仰や道祖神を祀るなどの民俗神道や、古事記や日本書紀に書かれている天津神・国津神を祀ったり、国家神道的に政治利用された要素もあります。
仏教伝来は諸説ありますが、公式には538年が有力と考えられています。
ただ、それ以前にも先に書いたように朝鮮半島との交易は盛んだったと思います。朝鮮半島には384年には仏教が伝来されていたので、もっと早い時代に入ってきていると考えることも自然だと思います。

そのようは背景の中での古墳の位置づけを考察します。
古墳は、墳墓であることは間違いのない事実です。
ただ、意味として、「祀る」のか「葬る」のか、あるいは両方の要素があるのかです。
ひとつは、この当時の宗教観がどのようでであったのかという要素が関係します。
あと、この時代の時代背景を先に調べた理由でもありますが、国家としてまとまっていると信仰もまとまっている可能性が高いですが、権力が分散していると信仰が一つではなくて、複数の信仰がある可能性もあります。(現代の日本でもいろんな信仰があります。)


古墳時代と呼ばれている期間は約400年間あります。
その間に、中央集権化と各勢力の勢力分布も変ると考えられるし、文化の地方への伝播も伝播される範囲や伝播されるスピードにもタイムラグがあると思います。
なので、信仰や宗教観のまとまりの粒度ってどれくらだったのでしょうか。
なんか、たくさん書くと詰め込み過ぎちゃうから分けますね。続きは次回です。

mahalo
最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。

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