ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち ホレホレ節
ALOHA!
今日も、みなさんが笑顔になれますように。
前回からの続きです。
ハワイは、西洋にとって当時重要な産業だった捕鯨基地としても重要な役割を担いました。
また、需要の増えたサトウキビ産業も重要な産業でした。
目まぐるしく変わる時代の中で、多くの人々が行き交いました。
そして、ハワイは翻弄されていきました。
そんな激動の時代の中で、アメリカに併合されていきました。
そのことが、良いことかどうかの答えは出ないかもしれません。
時代の流れだったのかもしれません。
そんな、ハワイでサトウキビ産業が盛んなころに、労働力が必要だったために世界中から移民が来ました。
日本からも、たくさんの人が移民に来ました。
一番最初は明治初年の移民です。
元年者(がんねんもの)と呼ばれています。
時代が江戸から明治に変わった激動の時代に、移民に行くということは、きっと、ものすごい大混乱の中だったと思います。
貧しい地域からの移民も多かったそうです。
また、沖縄県出身者は、日本人ではなくて「沖縄人」と呼ばれて差別もあったそうです。
そして、移民の生活は過酷でした。
そんな苦しい農作業の時に歌った歌が「ホレホレ節」です。
日本語と英語、ハワイ語が混じった歌です。
展示会場でもホレホレ節が流れていました。
ハワイ 、ハワイと夢見てきたが
流す涙は甘庶(きび)の中
行こか メリケン 帰ろか 日本
ここが思案の ハワイ国
第二次大戦はハワイのパールハーバーへの奇襲攻撃で始まりました。
奇襲なので宣戦布告も無しです。
当時の日本は敵国になりました。
ハワイの日系人は収容所に入れられたりしました。
そんな中で、多くの二世たちは忠誠を示すために、アメリカ軍として従軍しました。
一番激しい戦線などに出兵していきました。
有名なヨーロッパで闘った第100歩兵大隊などです。
ハワイの日系人は、そんな、多くの葛藤を抱えて生活していました。
そんな日系人の方々の並々ならぬ努力の賜物でハワイには日系人が多いです。
苦しい時代を経て、成功した人も多いです。
自分のお店をもったり事業を起こした人。現地の人と結婚して、たくさんの子孫に囲まれた人もいます。
ご飯も普通に食べられます、お店にも日本の名前がついているところが多いです。
もし、ハワイに行かれたときは、思いを馳せて見てください。
もっと、ハワイが好きになると思います。
mahalo
最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。
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