中将姫と當麻曼荼羅 當麻寺に行ってきました
ALOHA!
今日も、みなさんが笑顔になれますように
前回からの続きです。
そんな風の王国の舞台の當麻寺です。
って、回り道が長くてごめんなさい...自分の価値観に大きな影響を与えたことなので、どうしても長くなってしまいます。
異民族や異人種や異宗教ではなくて、同じ国、同じ民族であっても職業や経済や生活によって差別が生まれる。差別の問題はイジメの問題は同じようなものが根底にあることを感じます。
本当に根が深くて難しい問題なのかもしれません。
例えば、生き物の命を大切にする考えが、殺生をする人への差別を生みました。
當麻寺は、駅を出て通りに出たら左に曲がって真っすぐ歩いていきます。
歩く途中に、ここは相撲の起源の地というお話が書かれた碑があります。
日本書紀に「野見宿禰」(のみのすくね)と「當麻蹶速」(たいまのけはや)の天覧相撲のことが書かれているそうです。
古い時代、この土地でいろんなことが起こって、いろんな文化が生まれていて、なにか時代の中での大きなエネルギーが集まって、ダイナミックに動いた場所なんだと思います。そんなことを感じました。
當麻寺の門からは、二上山を見ることが出来ます。
當麻寺は當麻曼荼羅の寺として有名です。當麻曼荼羅は奈良時代に一夜にして織り上げられたという伝説があります。
藤原家の郎女・中将姫(ちゅうじょうひめ)の物語が伝わっています。
中将姫は、天平19年(747)藤原豊成の娘として奈良の都に生まれました。4才の時には『称讃浄土経』と出会い、幼少の頃からこの経典を諳んじていたといわれています。
5才の時に母を亡くし、その継母から妬まれて命さえ狙われるまでになりました。周囲の助けで、雲雀山へ逃れて読経三昧の隠棲生活を送りました。
16才のときに、太陽の沈みゆく西の空に阿弥陀仏が浮かび上がり、夕空一面に極楽浄土の光景を光景を見たそうです。
その光景に心を奪われた姫は、観音さまを念じながらひたすら歩いて、観音さまに手を引かれるように二上山の麓、當麻寺にたどり着きました。
当時の當麻寺は男僧の修行道場であり、女人禁制でした。入山が許されなかった姫は、門前にある石の上で一心に読経を続けらると不思議なことに数日後、その石には読経の功徳で姫さまの足跡が刻まれました。
そして、当時の住職に実雅和尚よって女人禁制を解いて姫を迎え入れ、法如という名前を授かって尼僧になりました。
中将姫は、経典を読誦・書写しているうちに、二上山の峰の間に、金色に輝く阿弥陀さまのお姿、壮麗な極楽浄土の光景を観ました。
その光景を人々に伝えたいと念じ続けてこの當麻曼荼羅を表されました。
當麻曼荼羅は縦・横約四メートル四方の大画幅に、阿弥陀、観音、勢至(せいし)ら三十七尊や楼閣、宝池などの極楽のありさまが壮麗に描き出されています。
続きは次回です。
mahalo
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