古墳について調べてみました

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今日も、みなさんが笑顔になれますように。

前回からの続きですが、回り道になったのでタイトルは変えました。
個人的に疑問に思っていることと調べたことを書いてみます。
素人が素朴な視点で調べていることなので違う説も多いかもしれません。ご了承ください。
疑問ばかりで答えは出ないとかもしれないです。
調べてみると、知らないことばかりです。
最終的に気になっていることは、古墳時代の宗教観的な視点での古墳の位置づけと、神社との関係です。
言い方を変えると、古墳時代の神の概念や祀りや弔いについてです。

余談ですが、Blogを書くときに調べることが必要な内容は時間のあるときに書き溜めたりします。
この記事も、少し前から書き出していました。
そしたら、Twitterを見たら「仁徳天皇陵」がトレンドに上がっていて、読んでみると仁徳天皇陵(大山古墳)を宮内庁が地元の大阪の堺市と共同調査を行ったとありました。
墳丘を取り囲む堤の部分から、築造当時のものとみられる埴輪や石が敷き詰められた跡が見つかったそうです。
仁徳天皇陵は国内最大の前方後円墳です。

古墳は、扱いとして2つの系統があります。
一つは、天皇家のお墓と言われている古墳です。
「御陵」として扱われるために、あくまでも「お墓」なので宮内庁の管轄で調査が出来ません。
それ以外の普通の古墳は規模の大小にかかわらず埋蔵文化財なので、文部科学省の管轄で発掘調査が可能です。
なので、宮内庁管轄の御陵に調査が入ることは、とても大きな意味があります。

古墳についていろいろ調べてみました。
すごく奥が深いです。
古墳の作られた時代は古墳時代は大和時代とも呼ばれて、3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多いです。
その時代を調べるための文献は、歴代天皇の陵地の記録という視点では、日本史としてのリファレンスである古事記や日本書紀を紐解いたり、延喜式諸陵寮という古文献にも記載があるそうです。
この中央集権国家という形が作られていった日本の歴史で人類学的にも文化的にも大激変が起きていたはずの4世紀前後に、中国にも史料が残ってない「空白の4世紀」があるそうです。


古墳の作られ始めたのは、弥生時代に作られた弥生墳丘墓から発達したとの見方があるそうです。
そして、古墳の終焉は、646年(大化2年)に薄葬令が出されたためという説があるそうです。
薄葬令には従来の墓の規模を遙かに縮小し、簡素化することが書かれています。
ただ、その後も地方では作られたそうです。中央集権に反対している地方豪族が作り続けたとの説がります。

続きは次回です。

mahalo
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